株式会社メイクマン40周年記念誌

沖縄のホームセンター メイクマンの発行するフリーペーパー「メイクマン File」です。暮らしや手作りに役立つ情報をたくさんお届けします。


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24代表取締役社長に岸本安正が就任1980年代、メイクマンは企業として大きな成長を遂げた時代だったと言えるだろう。浦添店、具志川店、那覇店の3店舗は順調に営業を続けており、メイクマン本社では1980年に貿易部を設けてより充実した品揃えを目指した。1981年には那覇店を一日橋店へと改称。1982年、取締役会にて代表取締役会長に仲村宏正、代表取締役社長に岸本安正が就任することが決定した。DIYの本場アメリカに注目していた岸本は、社長就任後メイクマンを企業として拡大路線に乗せ、沖縄にDIY、「DOITYOURSELF」の精神を広めていくことを志していた。DIY精神を広めるため、さまざまなことを試みた。DIY協会が主催するDIYスクールを県内で開催。この際、スクールを開くためにはDIYアドバイザーの資格が必要だからと、1984年、メイクマン初のDIYアドバイザーが誕生した。フロンティア精神を持って新たな事業にチャレンジし続け、名護鉄工所とメイクマンを創業し発展させたのは仲村であるが、この時期、今日に至るメイクマンの基盤を築いたのは岸本である。ここで少し岸本について触れておこう。岸本は名護市宮里に6人兄弟の5番目として生まれた。少年時代はとても貧しく、県立第3中学2年生のときに沖縄戦に巻き込まれた。戦後は自ら学資を稼ごうと九死に一生を得るような危険な目に何度も遭いながら働いたという。このような苦難の連続を、持ち前のバイタリティで乗り越え、その後は生命保険会社のセールス、名護鉄工所での営業と総務を経験し、メイクマン創業に関わることとなった。真面目な人柄で、松下幸之助の言葉にならって「繁盛している景気の良いときこそあぐらをかいてはいけない」と常日頃から口にしていた。当社の経理システムを一から築き、厳しい指導とユーモアを持って従業員に接した岸本は、「危なさやあしが渡てみぶさん浮世の橋」という歌を詠んでいる。メイクマンのチャレンジ精神を代表するこの言葉は今でも語り継がれ、石碑に刻まれ新築移転した浦添本店入口にも設置されている。メイクマンの創業者であり初代社長の仲村宏正(右)とホームセンターとしてのメイクマンの基礎を作り上げ、2代目社長となった岸本安正(左)。両者とも不屈の精神で努力を惜しまず、あふれる情熱をもって仕事に取り組んでいた。(写真提供『現代経営NO.76』)


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