株式会社メイクマン40周年記念誌

沖縄のホームセンター メイクマンの発行するフリーペーパー「メイクマン File」です。暮らしや手作りに役立つ情報をたくさんお届けします。


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25MAKEMAN40THANNIVERSARY海覇王とガーデンセンターの誕生1985年からの数年はメイクマンの歴史においていくつものチャレンジを行い、大きなニュースを生み出している。4月22日、「海鮮料理とバンケットプラザの店『海覇王(ハイパーワン)』」をメイクマン浦添店の隣に開店。「ホームセンターにも限度がある。これからの時代は外食事業が有望だ」と役員会全員一致で決定し、台湾の海覇王をモデルにオープンさせた。この時は台湾で奇跡の企業としてマスコミにも紹介された。本格的な中華風海鮮料理を提供するレストランとして好評だったものの、業績不振が続き、1989年に閉店した。海覇王だった場所は後に浦添店の大型店舗への改装に利用した。1985年8月10日、北中城村の屋宜原にガーデンセンターをオープン。店舗面積は253坪と広くはなかったが、園芸用品に特化した新たな業態として世間からの注目を集めた。「ニューマン」のオープンに大行列この時期、もっとも大きなチャンレジにディスカウントストア「ニューマン」のオープンが挙げられる。名護鉄工所の西原工場跡地を利用して、これまでのDIYセンターとは一線を画した店舗を開こうという試みは一つの大きな賭けだったといえよう。1987年7月3日、赤字が許されない状況下で期待の新店舗ニューマンが開店した。開店前から話題になり、たくさんの人々が関心を寄せていたおかげで、オープン初日から大行列ができるほどの大成功を収めた。ニューマンの初日の売上はメイクマン全店舗における過去最高の一日売上高を記録。現在もそれは塗り替えられていない。ちなみに初代店長は宮城順一現社長が務めた。ニューマンオープンから2年後の1989年、当社ではEOSシステム運用を開始している。これからの時代に電算システムは必要不可欠だと感じた県内の主力業者10社の役員が合同で本土企業へ視察に行き、沖縄に電算EOSを導入したのである。これにより増え続ける商品の発注業務が大幅に効率化された。国道58号線沿い、旧浦添店の場所にあった「海鮮料理とバンケットプラザの店海覇王」は、その立地と中国らしいきらびやかな外観のインパクトに今も多くの人々の記憶に残る。開店の際は台湾の海覇王の社長と夫人も祝福に訪れた(写真右)。1985年のオープン当時のメイクマンガーデンセンター(右)。鉢物や大きな園芸資材などの商品を幅広く取り揃えた。ガーデンセンターはその後移転し美浜店となった。ニューマンのオープンではテープカットを行う式典の横に開店を待つ人の長蛇の列ができた(左)。


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