株式会社メイクマン40周年記念誌

沖縄のホームセンター メイクマンの発行するフリーペーパー「メイクマン File」です。暮らしや手作りに役立つ情報をたくさんお届けします。


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21MAKEMAN40THANNIVERSARYメイクマン独立のため、発起人となった岸本と幹部たちは資本金1億を目標に、名護鉄工所の関係者、知人、友人全員に声をかけた。必ず利益を出して株主に利益配当を行うことを約束し、大勢の方に協力してもらった。社員にも経営参加してもらうため、全員株を取得することを条件に採用していた。1976年10月1日、メイクマン浦添店は業務拡張のため株式会社名護鉄工所より分離。創業地に本社を置き、株式会社メイクマンを設立した。創立総会後の取締役会にて代表取締役社長に仲村宏正、専務取締役に岸本安正が就任した。資本金は3千万円で、初年度から行われた株主配当は10%だった。2号店具志川店を開店資本金を増資しながら、1976年12月24日、具志川市(現・うるま市)にメイクマン2号店となる具志川店をオープンさせた。「日曜大工の店」だった浦添店から一歩踏み込み、ホームセンターとして品揃えを充実させることを目指した。社員はほとんどが新入社員で、店長は名護鉄工所から移籍した湧川善充が就任した。浦添店の倍の店舗面積だったが、まだ知名度がなく売上は厳しかった。しかし在庫削減のため陳列棚を1割ほど減らしたところ、メイン通路が広がり、空いたスペースを利用できるようになった。当時、盆栽展示のアドバイスをもらっていた地元の盆栽愛好家のお客様を通じて空きスペースで盆栽展示会を開催したり、中部ラン友会に声を掛けてラン展示即売会などを行うことができた。具志川店は当初、全国のホームセンターの中でも特に売上不振の店だったが、店長自らお客様からの質問には何でも答えるようにする接客姿勢や、店員の細やかな接客努力により、3年目から売上は好調に推移していった。売上が好転するまでにはさまざまな試みをした。日曜大工用品や文具品だけでは売上が伸びないと見込み、全国でも初めてとなるホームセンターで家庭用品を扱う試みを行った。鍋やガスコンロ、台所用品、洗濯用品、掃除用品といった家庭用品を大々的に扱い、日用品、インテリア用品も充実させた。カーテンコーナーでは、これも全国初の取り組みであったがミシン導入と豊富なサイズ展開を試みた。カーテンについては沖縄の住宅事情に合わせて半間サオープンして間もない頃の具志川店。浦添店に比べて売り場面積が広く駐車場も大きかったためスペースを有効活用し盆栽展示会やラン展示会を行い、その取り組みが地元の人たちの心をつかみ来店者数の増加につながった。


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