株式会社メイクマン40周年記念誌

沖縄のホームセンター メイクマンの発行するフリーペーパー「メイクマン File」です。暮らしや手作りに役立つ情報をたくさんお届けします。


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本社運営部棚原憲彦TANAHARANORIHIKO1998年に入社し、本社運営部に配属。主に売り場で働くスタッフをシステム面や売り場作りの点でバックアップする。名護店家庭用品部門砂川綾子SUNAGAWAAYAKO1996年11月のメイクマン名護店のオープニングスタッフとして家庭用品部門で採用。勤続18年。一日橋店DIY部門美里亮太MISATORYOTA1994年生まれ。高校卒業後、2013年に入社。浦添本店での研修後、現在勤務している一日橋店でDIY部門を担当。入口にしてカタログ案内という感じでした。システムキッチンなどのメーカーさんのものを展示するようになったのは旧浦添店のショールームを作ったときが初めてでしたね。住宅設備部門は何よりもこういった住宅まわりのものがメイクマンで売っているということを認知してもらうまでにとても時間がかかりました。司会最初は数点だけだったのが展示する商品が増えていって、現在は施工まで行っていますね。大城だんだんお客様から相談が多くなってきて、「家のこういうところが不便だからみてもらえないか」というリフォームなどの改修工事が増えてきたんです。売り場の担当が施工を担当する業者さんと一緒にお客様の自宅へ行って要望に応える、というのは今まではないやり方でしたね。でもこれをやると、リピーターになってもらえるんです。そうやってお客様が増えていきましたね。司会エンジョイ部門の品揃えも昔と比べてだいぶ変わったんじゃないですか?宮里そうですね。カー用品は、僕が入社した1991年頃はカーコンポが主流の時代でした。タイヤもですかね。カーコンポは花形だったけど、その後全国展開の車の専門店が沖縄でもオープンするようになってからはだいぶ影響がありましたね。だからオイル交換やバッテリー交換などの基本的なサービスを安く提供するなど、メイクマンならではの路線を模索してましたね。司会家庭用品はどうでしょう?ブームなどもあると思いますが。砂川私が入社した1996年頃は、介護用品の車椅子などはなかったような気がするんですね。それが今は車いすだけでも数種類、杖や介護用パンツの品揃えもとても豊富になっています。昔はベビー用品が多かったのが今はシルバー用品も豊富になってきて、これも時代の流れによるものだなと思います。司会そうですね。時代が変わるにつれて、商品もだいぶ変わってきましたよね。商品の種類、品揃えの変化それにともなう売り場の変化司会では商品展開という点ではどうでしょうか。運営部には売り場の棚づくりやレイアウトなどの要望が店舗にいるみなさんから出ると思うんですが、変わってきたことはありますか?棚原変わってきたことは、とにかく何よりも店舗の規模がまったく違ってきたと思います。僕が入社したのが名護店オープン直後で、具志川店も移転、小禄店も移転という時期でした。石垣店、宮古店も増床して、とにかくどの店舗も大型化の波がすごい時期でしたね。ただ、規模という点において言えば、今の店舗数とそれぞれのお店の規模というのは沖縄に住んでいる人たちの要望や期待にはある程度応えられるものなんじゃないかと思いますね。司会時代のニーズによって店舗展開を変えていると思いますが、最近意識していることは、どんなことになりますか?社長時代の流れとともに店舗規模が変わってきている。旧浦添店の売り場面積は1千200〜1千300坪だったんですが、それだとお客様の要望に応えられる品揃えや、買い物しやすい店舗環境がなかなか実現しにくい。業者の方が車を横付けして材料などの買い物をすることができなかったし、それを扱うだけのスペースもなかったんですね。それと、旧浦添店開店当初、私はカー用品を担当していた時代がありますが、カーエアコンとかカーステレオがよく売れていました。その当時はこれらが車に標準装備じゃなかったですね。カーステレオも8ト50


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